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涼野のOLU CREATEな日々

なんとなく不安で泣いていた自分から卒業する!28歳からのイマドキ女子の女性幸福論「カラーシグナルセラピー」代表スズノのつぶやきブログ。

誰に何を言われても言われなくても、あなたの価値は変わらない

こころのはなし

こんにちは〜♪
熊本市で過ごす初めての冬に備えておりますスズノです。

 

師走になりましたね。そりゃあ寒い訳ですよ。

つい先週まで洗濯物についておりました大量のカメムシさん達も、ちっとも姿を見せなくなりました。よかったよかった。

 

今日は
「誰に何を言われても言われなくても、あなたの価値には関係ない」
というお話(。-ω-ヾ(∀`。)

 

父&兄のツンデレを理解できず
「愛されてない」と思い込んでいた思春期

先日、トイレでゆっくりしていた時に大分の母から電話がかかってきました。(ぇ、ちょっと待ってまだオシリ拭いてないのよ)と思いつつ、普段だとかかってこない時間帯だったので出てみました。

 

母:アンタ、地震っ!大丈夫な!???

私:え?(・◇・。)?特に揺れてないけど?(トイレだし?)

母:いや、[リノ兄]がな「阿蘇地震ぞ!リノは大丈夫か?ちょっと電話して聞いてみよや!」っち言うけんさぁ。えぇ?そっちは揺れんかったんな。でも[リノ兄]がとにかく電話しよっち言うけん一応かけてみたんよ。まぁ無事やったんやな良かったわ。ハイハイ、ほなな〜!ガチャッ。ツーツーツー

 

・・・という一部始終でした。(あ、ちゃんとその後トイレは完了しましたよ)

 

母は愛情&人情たっぷりなオモロイ陽気オカンという感じなのでズケズケとした物言いは時に私のガラスのハートを紙やすりで研磨していきますが、私のことをどう思っているかは分かりやすくてありがたいです。

 

一方、我が家の男性陣(父&兄)は究極のツンデレです。もっと言うと、私にはツンしか見せません。

 

思春期の私は、この二人のツンしか見せない生活の中で、一人で勝手に「もう私は愛されていないのかな、兄に比べて私は好かれていないのかな」と思い込んでいたのです。

 

自己否定の材料にしてしまっていたのは
期待と異なる反応への違和感でした

とは言え、しっかりと物質的にも生活環境的にも何不自由なく与えて育ててもらっていたので、頭では愛されていると理解していました。

 

しかし、私の求めていた愛情表現とは違っていたために、心のどこかで「私は愛されてないかもしれない」という違和感が残っていたのです。

 

たとえば、中学生以降になっても私は、幼少期の頃のように単純に「すごいね、リノはえらいね、かわいいね」と褒めてほしかった・・・今思えば深層心理ではただそれだけのために頑張っていたんですよね〜。あぁ健気。笑 勉強もして生徒会活動やら部活も副部長をしてみたり、とにかく真面目で「目立つ」子でした。

 

しかし親も人の子、ひとりの人間なので、子どもとは言え他人を褒めることが気恥ずかしかったのでしょう。(私は全然恥ずかしくないタイプなんですけど)私の両親に期待していた言葉はのぞめませんでした。

 

それどころか「リノはうちの家族のなかでもちょっと異質だ」「女の子なのに性格が強すぎる・・・性格が兄とリノ、逆ならよかったのに」(ショック!笑)などなど、私と対照的な兄(あまり自己主張せず、波風たてず、器用に無難にすすめる)の方がよしとされ可愛がられている、という印象を私は勝手に感じていました

 

はい。勝手に、私だけ、そう感じていたのです
・・・ここ重要ですよ!テストに出ます。(何の)

 

そして、私は今のままじゃダメだ、もっと頑張らなくちゃ愛されない(=私の思うように褒めてもらえない)。でもどう頑張ったらいいんだろう?とにかくなんでも一生懸命突き進もう!という思考回路でもって、素の自分を否定していることに気付かずにいました。なので「褒められたい→頑張る→時々期待通りに褒められる→嬉しいからまた頑張る→期待通りにいかない→★自分がダメだから褒められないと思う→もっと頑張る→ループ」になっていた訳ですね。

 

↑この★自分がダメだから褒められないと思うがキーポイントです。
頑張ることは方法論の一つとして素晴らしいですが「頑張らないと褒められない=背伸びしていない素の私では愛されない=存在価値の否定」という心理構造に基づいた頑張り方はお勧めしません。人生のうち一度は経験してみてもいいですが、一生ずぅっとは嫌です。だって辛いんですもの。

 

 

実はあなたもわたしも愛されている。 愛情表現の違い。

大学から親元を離れて生活をし始め発覚したのは「父も兄も、私のいない所でいつも私のことを気にかけている」というエピソードです。何それ!?笑

何かにつけ思い出すたびに「リノはどうしているんだ」と母に尋ねるそうです。しかし、彼らから直接私へ連絡がきたことは一度もありません。(いつも母経由)そして顔を合わせても特に喜ぶ素振りや私への優しい態度を見たことがないです。マヂどんだけー。

 

今大人になってやっと分かったのは父も兄も「好きな子にどう接していいか分からなくて無視したり、話しかけれたと思ったら結局ちょっかいを出して相手を傷つけて終わる」という小学生あるあるの愛情表現をしているんだなぁということでした。ふぅまったく。世話の焼ける男たちだぜ。

 

分かっちゃあいましたが愛情表現は人それぞれですものね。愛しているという想いをあらわす行動は人によっては「金銭的援助」や「干渉しない」だったり「アドバイスする」もしくは「いぢわる言ったりちょっかいを出す」かもしれません。

 

私の愛情表現は「あなたはすごいよ、素晴らしいね、えらいぞ、かわいいね、だいすきだよ」というシンプルだけど日本人だと気恥ずかしい言葉の数々。どうしてこうなった。笑 そして分かりやすい笑顔。笑顔なんかだだ漏れですよ。

 

一方、ご覧の通り私の家族の愛情表現は、私のそれとは全く違います。相手に同じことを期待していると、当たり前ですがちがう結果(=褒めてもらえない)となるのですが、だからと言って愛されていないと言えるでしょうか。

 

えぇ。ちがいますよね(*´꒳`*)

私はたっぷり、愛されています。そして、私は素晴らしい存在なんだということに変わりはありません。

 

 

そういうふうに、できている。

人のことだと、冷静に見えますから「スズノはそうだろうけど、私はちがう。だってあんなことやこんなことがあった・・・」と思われたそこのあなた。

 

あなたも、超絶的に愛されています。あなたは絶対的に素晴らしい、価値ある存在です。生まれた時から今までも、これからも変わりはありません。

 

と、いう前提で世の中ができているとしましょう。

 

そうすると、自分の期待した結果にならなかったり(=欲しい言葉や態度が得られない)、もしくは他者に「No」「いやだ」「きらい」と言われたりしても。

 

あなたの価値は変動しないのです。

 

何かを言われる/言われないという表面的な結果は、他者との関わりでうまれる「他者からの相対的な評価」に過ぎません。

 

人と関わって生きていますから、相対的な評価を気にするのは自然ですよね。でも、間違えないでくださいね。相対的な評価がいくら変動していても、絶対的なあなたの価値は、変動しません。初めから100%振り切ってます。

 

にわかには信じがたいかもしれませんが、そうなっているんですよね。仕組みとして。

 

はい、だとしたら。

 

周りの評価、反応を気にして自分の本音を我慢してるのって、なんだかバカらしくなってきませんか?

 

そりゃあ期待と違う反応がきたら悲しくもなりますし腹も立ちますけども、だからと言って自分の価値が下がるわけではないとしたら。

 

今日は、何をしますか?何を断って、何を嫌いだと思いますか?

 

手始めに「コレ本当はやりたくない」ということを思い切ってやめてみてください。

 

やめることができなくても大丈夫。「あ、私こんなに普段から我慢してるんだ」と気付くだけでも心からのシグナルをキャッチできている証拠ですよ。

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございますヽ(´∀`o)ノ

 

そんなあなたには
雪崩のごとくハッピー&ラッキーがふりそそぎますよ♪

 

すばらしい〜♪♪♪

 

ありがとう、ごめんなさい、ゆるしてください、あいしています。